ベトナム戦争における第23歩兵師団(23rd Infantry Division)

概要
第23歩兵師団(23rd Infantry Division)、通称「アメリカル師団(Americal Division)」は、ベトナム戦争においてアメリカ陸軍が運用した師団の一つです。第23歩兵師団は、1967年から1971年まで南ベトナムで戦闘作戦を展開し、対ゲリラ戦や大規模な作戦に従事しました。
特に、1968年の「ソンミ村虐殺事件(My Lai Massacre)」に関与したことで悪名が高く、歴史的に議論の多い師団としても知られています。
師団の歴史と特徴
1. 師団の創設
- アメリカル師団は、もともと第二次世界大戦中の1942年に南太平洋のニューカレドニア(New Caledonia)で結成された部隊です。
- 「Americal」という名称は、「American(アメリカ)」と「Caledonia(ニューカレドニア)」を組み合わせたもので、アメリカ陸軍の歴史上、唯一固有の名称を持つ師団でした。
- その後、太平洋戦線で活躍し、終戦後に解隊されましたが、ベトナム戦争の激化に伴い、1967年に再編成され、第23歩兵師団(アメリカル師団)として再び編成されました。
2. ベトナム戦争での活動
- 1967年9月、南ベトナム中部沿岸のクアンガイ省(Quang Ngai)やクアンティン省(Quang Tin)に展開。
- 主に「I軍管区(I Corps)」のエリアを担当し、南ベトナム軍(ARVN)や他の米軍部隊とともに作戦を実施。
- 1968年のテト攻勢(Tet Offensive)では、ベトコン(VC)や北ベトナム軍(NVA)と激戦を繰り広げた。
- 師団の拠点は、南ベトナム中部のチューライ(Chu Lai)基地に置かれた。
主な作戦と出来事
1. テト攻勢(1968年)
- 1968年のテト攻勢では、南ベトナム全土で大規模な共産軍の攻撃が行われ、第23歩兵師団もその対応に追われた。
- クアンガイ省やダナン周辺での戦闘に参加し、ベトコンの撃退に貢献。
2. ソンミ村虐殺事件(1968年3月16日)
- アメリカル師団で最も悪名高い事件が「ソンミ村虐殺事件(My Lai Massacre)」である。
- 1968年3月16日、師団傘下の「第11軽歩兵旅団」のチャーリー中隊(C Company)、第1大隊、第20歩兵連隊が、ベトコン掃討作戦「スピーディ・エクスプレス(Speedy Express)」の一環としてソンミ村(ミライ村)を襲撃。
- 民間人をベトコンの支援者と見なし、約500人の無抵抗の村民を殺害。
- この事件は当初隠蔽されたが、内部告発により1969年に明るみに出て、世界的な反戦運動の象徴となった。
- この事件により、アメリカル師団の名誉は大きく傷つき、後の米軍の対ゲリラ戦戦略にも影響を与えた。
3. ヴィンディケイション作戦(Operation Vindication)
- 1969年に実施された作戦で、クアンガイ省におけるベトコンの拠点制圧を目的としたもの。
4. 師団の撤退(1971年)
- 1971年、アメリカル師団は徐々に戦闘地域から撤退し、南ベトナム軍(ARVN)への作戦移行が進められた。
- 1971年11月に正式に解隊され、ベトナム戦争から姿を消した。
師団の編成
第23歩兵師団は、以下の主要部隊で構成されていた。
- 第11軽歩兵旅団(11th Light Infantry Brigade)
- 第196軽歩兵旅団(196th Light Infantry Brigade)
- 第198軽歩兵旅団(198th Light Infantry Brigade)
- 第16砲兵連隊(16th Artillery Regiment)
-
第123航空大隊(123rd Aviation Battalion) など
評価と影響
1. 軍事的評価
- アメリカル師団は、ベトナム中部のゲリラ戦や対NVA戦闘で一定の成果を上げた。
- ただし、訓練不足や士気の低さが問題視されることも多く、部隊の指揮系統に課題があった。
2. 戦争犯罪の影響
- ソンミ村虐殺事件は、ベトナム戦争におけるアメリカ軍の負の側面を象徴する出来事となり、国内外で大きな批判を浴びた。
- 事件が公になったことで、米軍の戦闘指針や民間人保護の重要性が見直されるきっかけになった。
3. 師団の解散とその後
- しかし、師団名の「Americal Division」は、現在もアメリカ陸軍の伝統として記録されている。
- ど
- 1971年に解隊された後、アメリカル師団は正式な再編は行われず、歴史の中に消えていった。
紋章の意味
第23歩兵師団(アメリカル師団)の紋章に描かれた4つの星の意味
第23歩兵師団(アメリカル師団)の紋章には、青地に4つの白い星が描かれています。これらの4つの星は、第二次世界大戦中にアメリカル師団が戦った4つの主要な戦場を象徴しています。
4つの星が象徴する戦場
- グアダルカナル島(Guadalcanal)
- ブーゲンビル島(Bougainville)
- フィリピン(Leyte & Cebu)
- 沖縄(Okinawa)
これらの戦場は、第二次世界大戦の太平洋戦線でアメリカル師団が活躍した場所です。特に、グアダルカナルの戦いやフィリピン奪還作戦において重要な役割を果たしました。
ベトナム戦争で再編された際も、この紋章が引き継がれ、アメリカル師団の歴史的な背景を示す象徴となりました。
まとめ
- 第23歩兵師団(アメリカル師団)は、ベトナム戦争において南ベトナム中部でゲリラ戦や大規模な作戦を展開した部隊である。
- 1968年のソンミ村虐殺事件で悪名を残し、米軍の戦争犯罪として記憶されている。
- 1971年に解隊され、その後再編は行われなかったが、アメリカ陸軍の歴史にその名を残している。
ベトナム戦争を語る上で、アメリカル師団の功績と問題点の両方を理解することは重要である。