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ベトナム戦争における第1航空旅団 (1st Aviation Brigade)
ベトナム戦争における第1航空旅団 (1st Aviation Brigade)
第1航空旅団は、アメリカ陸軍の航空部隊で、ベトナム戦争中に非常に重要な役割を果たしました。この部隊は、航空機を駆使して戦場での兵員輸送、航空支援、救助作戦など、さまざまな任務を遂行しました。
基本情報
- 編成: 第1航空旅団は1966年に創設されました。
- ベトナム派遣: ベトナム戦争中、1966年から1973年まで現地で活動しました。
- 拠点: 主に南ベトナム全域で活動し、本部は最初にサイゴン(現ホーチミン市)の近くに置かれ、後にロンビン基地(Long Binh Base)に移動しました。
任務内容
第1航空旅団の主な任務は、アメリカ軍および南ベトナム軍の戦術的・戦略的航空支援を提供することでした。
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兵員輸送
- ヘリコプターを用いて、兵士を迅速に前線や作戦地域に輸送。
- 有名なUH-1「イロコイ」(通称「ヒューイ」)が主力輸送機として使用されました。
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航空支援
- 地上部隊への航空火力支援を提供。
- AH-1「コブラ」攻撃ヘリコプターを駆使して、敵の陣地や兵力を制圧しました。
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医療搬送(メディバック)
- 戦場で負傷した兵士を迅速に医療施設に搬送。
- 救命率を大幅に向上させる重要な役割を果たしました。
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物資補給
- 前線への武器、弾薬、燃料、食糧などを空輸。
- 山岳地帯やジャングルの奥深くにある部隊にも供給が可能でした。
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偵察と監視
- 偵察用ヘリコプターを使用して、敵の動きを監視し、地上部隊に情報を提供。
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特殊作戦支援
- 特殊部隊や偵察部隊を敵地深くに輸送し、作戦終了後に回収する任務を遂行。
第1航空旅団の規模
第1航空旅団は、ベトナム戦争中に史上最大の航空部隊として知られ、その規模と能力は他に類を見ませんでした。
- ピーク時には、旅団には4万人以上の兵士と4,000機以上の航空機(主にヘリコプター)が所属していました。
- 旅団内には、複数の航空大隊や中隊が編成され、特定の地域や任務に従事しました。
使用された主な航空機
- UH-1 イロコイ(ヒューイ): 兵員輸送、メディバック、補給に使用される多目的ヘリコプター。
- AH-1 コブラ: 攻撃ヘリコプターで、地上部隊の火力支援を担当。
- CH-47 チヌーク: 重輸送ヘリコプターで、大型装備や物資の空輸に使用。
- OH-6 カイユース: 軽偵察ヘリコプターで、情報収集や近接支援を担当。
主な功績
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テト攻勢(1968年)での活躍:
- 北ベトナム軍とベトコンの大規模攻撃に対して迅速に部隊を展開し、反撃を成功させました。
- 特に都市部での戦闘で、兵員輸送と火力支援が決定的でした。
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カンボジア侵攻(1970年)での支援:
- カンボジアでの北ベトナム軍拠点への攻撃において、特殊部隊の輸送や航空支援を提供。
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兵士の救出作戦:
- 過酷な環境下で、戦場から多くの負傷兵を救出。
困難と犠牲
第1航空旅団の活動は非常に危険で、多くの犠牲を伴いました。
- 敵の対空砲火や地上からの攻撃により、多数のヘリコプターが撃墜されました。
- ジャングルの厳しい地形や天候条件も、作戦遂行において大きな課題でした。
影響と遺産
- 第1航空旅団の活動により、ヘリコプター戦術が確立され、後の戦争における「航空機動戦術」の基盤が築かれました。
- メディバック任務を通じて、多くの兵士の命が救われ、戦争中の医療輸送の重要性が強調されました。
戦争後の活動
1973年のアメリカ軍のベトナム撤退後、第1航空旅団は解散されましたが、1980年代に再編成され、現在でもアメリカ陸軍の航空部隊として活動しています。
第1航空旅団は、ベトナム戦争における「空の騎兵隊」として、戦争の進行に大きな影響を与えた部隊です。その戦術的革新と勇気は、現代戦における航空戦力の役割を確立しました。
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